2016/10/22 13:41

 ギュンター・グラスの「ひらめ」という小説を読んでいます。構造が複雑な小説ですので詳しいことは省きますが、かい摘んでいうと料理がとにかく沢山出てくる小説です。

 そこで、牛の頭の中に森のキノコや草原のハーブやなんやらをいれて、こんがりと焼き上げた料理が出てきます。もちろんパーティー料理でみんなで突くわけです。牛の頭・・・・・・目玉が特に美味らしいですけれど。「マグロのカマ焼き」みたいなものですかね。目玉がね・・・・じゅるっとしてね。その料理の部分を読みながら深く思い起こしたことがあります。
 
 莫言原作の「赤い高梁」という映画があります。監督は、チャン・イーモウ。原作に比べて100万分の1も面白いとは思わなかったのですが、ひとつだけどうしても忘れがたく合点がいかないシーンがあったのです。

 映画の話をします。主人公は盗賊の頭、筋骨隆々の荒々しい男が料理屋に入ります。何か食べるものを、と依頼すると、ゴロンと牛の頭を煮たものが出てきます。それを男はガツガツと食べます。原作では、ここは犬の頭です。犬の頭を煮たもの。1940年代の中国の山東省・高密県の話です。当時、そこでは犬食が広く行われていたそうです。少なくとも牛というのは家畜として有用なもので、非常に高価なものだった。

 しかし、ベルリンだかなんだかで賞をとったチャン・イーモーは、それを牛の頭に変えました。一言でいうと、おもねったのだと思うのです。牛の頭を食べるのは、普通のことだけれど、犬の頭を食べることは野蛮だと考える西洋人に、おもねったと僕ならそう思う。

 なぜ、こんな話をしているかというと、西洋人は、犬の頭を食べる人なんて野蛮だぜ、そんな人は人ではないぜ・・・・・と差別をして来た・・・・・大航海時代、黒人貿易、ユダヤ人差別、様々なジェノサイト、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム戦争、パレスティナ・・・・つまり脈々と今でも続いている差別の歴史を感じるのです。

 犬の頭を料理として出すのではなくて、牛の頭を出すところに。

 僕たちは、すべて自分の理解出来ないものを野蛮だと決めて来た。自分より下等だから殺していいと思って来た。あはっは、そんなことは、昔のことだよ。グローバリズムが進んでいる社会でそんなことはあるわけがない、と思うかもしれない。特に日本人は民度が高くて、知的水準が高いのでそんなことを考えるわけがない、と。

 ところが実際に、沖縄の人を「土人」と呼ぶ機動隊員がいる。
 その機動隊員を、職務はちゃんと遂行していると擁護している、知事がいる。
 くだらない知事であるというより、くだらない人間が知事になったというのに擁護して来たマスコミがいる。
 そういえば、日本で最大の都市、大東京の前の前の前の知事は、長い間中国のことを「シナ」と呼んでいた。
 
 いいたいことは山ほどありますが、小説の原作を越える映画は、僕の知る限り存在していません。「赤い高梁」しかり「コレラの愛の時代」しかり「ブリキの太鼓」しかり・・・・あとは、何があるかな?えーーーと、思い出せないけれど、いっぱいある。

 遠藤周作の「沈黙」の映画化は、おそらく20年近く前からアナウンスされていたように思います。ようやく、という感じですが・・・・キチジローが窪塚洋介って・・・・・それなら多分、僕の方がよっぽどいい。次の飲み会には、ぜひスコセッシを連れて来てほしい。君は駄目だよ、君はこんなくだらないものをつくるために人生を生きて来たのかい?と聞きたい。できれば英語で。出来ないけれど。多分、そんな、予感がする・・・・いやな、気がするなぁ・・・・・スコセッシは、沖縄の人に「土人」と発言した意味を分かっているかなぁ・・・・・嫌な、きがするなぁ。「土人」ということに対して、どう考えるかなぁ・・・・いや、それは、スコセッシと会う機会があれば、直接話をしましょう。   


「沈黙」公式サイト⬇

http://chinmoku.jp