2017/02/05 22:00

  戦争で疲れきって体中ただれた物乞い達。ある晩、そのうちの一人は、酒を四杯も振る舞ってくれた領事をキリストだと思い込み、その前にひざまづいたかと思うと、領事が着ている上着の襟の折り返しにグアダルーペの聖母をかたどった二つのメダリオンをすばやく留めつけた。二つをつないでいるのは、血を流している小さなハート形の針山のようなもので細かな細工が施されている。「あなたに、えー、聖人さまにあげます!」 『火山の下』マルカム・ラウリー ..

 僕は人生は、飲酒と読書、この二つしかしていないのです。
 よくいうのです。酔っぱらうというので、皆さんもどこかで聞いているかも知れません。
 
 さて、酔っぱらい文学の世界史的抱腹絶倒超絶普通に最高傑作といわれる「火山の下」を読んでおりますと、はぁ、僕は「飲酒」なんて高等なことはしていなかったんだなぁ、ということに気がつきました。4杯おごってキリストだと思われたことも、4杯おごられてキリストだと思ったことも、これっぽっちもないものなぁ。この小説はすごいですよ。主人公の領事が酔っぱらう過程にあわせて、物語、いえ語りがどんどんと支離滅裂、奇妙奇天烈になり、つまりはどんどんと天使のようになっていく・・・・・半分ほど読んだ所で、この小説は僕の人生の傑作になると分かったのです。そう、つまり小説を書いたのはマルカム・ラウリーだけれど、この世界を理解したのは僕自身だ!!いえ、理解はしていない。ポケットから出て来たレシートによりますと、昨日の「飲み会」で飲んだのは、ビール中ジョッキ3杯、大ジョッキ4杯、焼酎1杯、2件目はよく覚えていないのですが、3件目は何故だかよく覚えていてテキーラを4〜5杯。たったそれだけだ。やっぱり、なにも理解が出来ていない僕は、キリストについて、芸術について、トランプについて、あるいは上腕二頭筋や三頭筋について、山東省や火山列島や空豆ポタージュや芥子の実について、あるいはあなたについてなにも理解が出来ていない僕は、少なくとも飲酒はしていなかった。反省をして、今日はビールを1本とチューハイを1本、ワイン1本の計3本しか飲んでいません。

 世界にはやはりすごいものがある。メキシコを舞台にしたものですが(「メキシコ人は、レイプ犯だ!」などといった政治家がいましたが、誰だったか・・・・)、ラウリー自体は英国人で、カナダに行ったりして最後はアル中でホームレスのようになって死んでいる。しかし、すごい小説を残している・・・・さて、世界と僕と量子とあなたはどこに向かうのか?世界はすごいぞ。これを知らなかったらもったいないよ。せっかく生まれて来たのだから。

 夕べ、3件目で名前はいえないけれど、誰もが知っている、いわゆるメジャーな人の音楽を久しぶりに聞いて、ああ、なんてくだらないのだろう、と思って、思わずいいそうになったので言葉はテキーラと一緒に飲み干したのだけれど、ちょっとくらい漏れ出ていたらごめんなさい。いえ、いいや、日本の唄なんてつまらない。その理由もはっきりといえる。知っている世界を知っている表現でやっているだけだ。僕がベートベンだったら、味噌かすに破壊して然るべきものばかり、よかったね、僕がベートベーンではなくて。会話が抜群に面白い!!3行で面白い。3行でクラクラと来るし、3行で大腿筋が燃え上がる。「偉大なる緑」という名のワインが、爪の先から溢れ出す。超高級というくせに、赤道直下の労働者を搾取するものでしかないチョコレートが前頭葉をねずみのように刺激する。今年は何干支だろうと思いを巡らしていると、ついつい鼻毛を刈ることに(多分、オーストラリアの大草原もこの鼻毛カッターで刈ることが出来るのではないか?)に没頭してしまう。この世界観を日本の唄でやった人は、やろうとした人は、僕の知っている限りASKAしかいない・・・・・嘘です、もうひとりいる・・・・・・・・・(トントンとあごを指で叩いている)・・・・・・・・・僕だ。
 
 長い文章を書くことに取り組んでいます。
 大丈夫、プロットは決まっているのですが、いざ出来るかどうかというとそれはそれで不安・・・・・だったのですが、書き出すとツルツルと文字が出てきます。もちろん、行きつけの店、「サイゼリア」で書いておるのですが。ああ、大丈夫だ、僕の人生のように大丈夫だ。時間があれば僕は、なにかの文章を書けるな。うまく秩序づけることが出来るかどうか、それは別として、とりあえずは書けそうな気がする。僕のなかに言葉は、こんなにあったんだな。

 大事なご報告をひとつだけ。
 9月に「ひき逃げ事故」に合いました。事故は事故で物理的に痛かったのですが、そのあとの交渉もかなり痛かった。とくに保険会社のおっさんは痛かった。しかし、1月末で示談が成立しました。相場というのがよく分からないのですが、なんとなくいい金額を取れたような気がします。
 結局、弁護士は電話相談のみで、交渉はひとりでしました。1番タフなネゴシエーターはやはり自分だろうと思ったからです。相手は、弁護士を立ててきましたが、それに対して文学的な素養だけで戦いました。

 なんとかなった、と思います。金額の問題ではなくて、ですが。
 交渉のなかで僕が放った一言、「加害者が轢いたのは、法律でも裁判所でも保険会社でもない。僕なんですよ!!」は、世界陸上的な映画の名台詞を彷彿とさせるものの、なかなかいい言葉でしたね。
 なんとかなったのではないかな。なんとかなったような気がします。なんとかなったであろうことのような気がします。なんとかならんとしたからにはなんとかならんとしたのではないであろうかという気がしないでもない気がしないでもありません。じゃぁ、やっぱり僕のやってきたことは、読書だけだったのではないだろうか?
 
 多くの方が心配してくれました。発泡酒とチリ産のワイン、若干のチェダーチーズを添えて、ご報告させていただきます。ありがとうございます。

 なんだっけ?
 僕は、何をいっているのだ?
 まぁ、いいかぁ・・・・・書いているうちにワインを飲み干したので、あとは読書と、愛する人を思うことぐらいしかすることがありません。ラウリーに戻ります。

 最後に、セニョーラ・グレゴリオの台詞を。
「人生は変わるよ、思いも飲まないほうに。」